20240927 西安寄ってウズベキスタン旅:ウズベキスタン編②タシュケント観光とヒヴァへの移動

日記

9月27日、7時頃起床。天気は晴れ

ホテルで朝ご飯

こじんまりしたホテルですので、場所もこじんまりしてますが特に不満はありません。

タシュケント観光

初メドレセ、Kukeldash Madrasah:クケルダシュ・マドラサ

メドレセまたはマドラサは、モスクに付属する教育機関でイスラム教の神学校だった建物。時代とともに役割を終え放置されたものや、旅商人のキャラバンサライ(隊商宿)として活用されたものなどがあります。

このマドラサには38のフジェラ(小部屋)があるそうです。中庭を囲うように配置された長方形の建物に規則正しく小部屋が並んでいます。共産主義支配下の時代は放置されたりしていたようですが、歴史的建造物として改修され、イスラム系の教育機関が運営しているそうです。

この後、大小さまざまなメドレセをウズベキスタン各地で飽きるほど見ることになりますが、この時は新鮮な気持ちで見学していました。どこも正面のファサードの基本的なデザインや建物やお庭の配置が同じなのがある意味すごいと思います。(日本のお寺が同じようなものに見えるってレベルより、さらにデザインコードが統一されている)

初ミナレット(尖塔)。礼拝の時間が来たことを知らせるアザーンという呼びかけをするための場所。(昔の話)

Chorsu Bazaar:チョルス―バザール

旧市街に位置するタシケントの中で最大の市場。市民の台所で、食料品(肉・野菜・果物・穀物・乳製品・お菓子・スパイス・ドライフルーツ等)から服飾品(普段着・結婚衣装・伝統服)、陶器などのおみやげ物など何でも売っている。東京でいうとアメ横みたいな感じでしょうか。

ドーム状の明るく開放感のある内部

スパイス

ナンもいろいろ売っている。

どこからか、運び込まれるナン。荷崩れして、ちょっとくらい落ちてもそんなの気にしない。

Hazrati Imom complex:ハズラティ・イマーム広場

バザールの北の方にある文化地区に徒歩で移動。15分くらいは歩いた。
ハズラティ・イマーム・モスク、バラクハーン・メドレセ、コーラン博物館と、イスラム文化センターがある。ハズラティ・イマーム・モスクでは、タシケントの金曜モスク(ジュマモスク)として、多くの人が集まりお祈りをしているそうです。

モスク

礼拝する場所、広い!

礼拝の方向を示すミフラーブというくぼみ。メッカの方向に向いているらしい。

入場の際は礼節を守り、服装には注意しましょう。

広い!

昼ご飯:Afsana Restaraunt

ホテルに一旦戻ってから、歩き方に載っていたAfsana Restarauntへヤンデックスゴーで移動。タクシー代が安いのは本当にありがたい。
サラダ、プロフ、シャシリク、レモネードをいただいた。テラス席が涼しくて気持ちいい。味もサービスも洗練されている感じです。
会計でサラダの分忘れてた様です。会計後に気がついたので言ってあげようと思ったけど、団体さんがきてすごく忙しそうなので、少額だしいいかってことにしました。すいません。
この旅の最後の方のサマルカンドで、現地の人と晩御飯食べたときにレシートを食い入るように確認してたのを見て熱心だなーと思いましたが、会計ミスが結構な頻度であるようなので気を付けましょう。

アチクチュチュクというウズベキスタンでメジャーなトマトと玉ねぎのサラダ

シャシリクという串焼き、肉とか野菜とかなんでも串焼きはシャシリク

プロフというウズベキスタンの炊き込みご飯、上にのってるお肉は羊とか牛とかいろいろあるそうです。

State Museum of Applied Arts of Uzbekistan:ウズベキスタン国立応用美術館

工芸品の博物館で、日本人ツアーがいたのでそのガイドさんの説明が聞けて得した気分。添乗員さんと話すと、今日の夜に仁川に飛んで、皆さんそれぞれ各地に帰るそうです。
入館料は外国人は2.5万スム国民は4千スムの二重価格。6倍の価格差だけど、約300円なので全然許せる。
建物自体も美しくて、ロシア公使の私邸だったものを博物館として活用しています。

こうゆう壁をくりぬいて作った装飾用の棚を各地で見かけました。レンガ造りの壁なので厚みがあるので作りやすいんでしょうね。

ウズベキスタン刺繍のスザニや伝統的織物アトラスなどの美しい作品がウズベキスタン各地から集められ、数多く展示されています。

彫刻された柱

タプチャンという縁台。これも各地でお目にかかりました。
基本屋外に置いてあり、家族や友人が集まって、ご飯をたべたり、お茶を飲んだり、話したり、昼寝をしたする多目的に利用する。ウズベキスタンらしい暮らしを垣間見ることができるスペースです。

ベシクという赤ちゃん用のゆりかご。これを使い伝統的なベシク・トゥイ(誕生祝い)をするそうです。

Central Exhibition Hall of the Academy of Arts

ナボイ劇場に行く途中にあったアートギャラリー的なところに寄ってみた。改めて調べると、ソビエト時代のモダニズム建築のひとつで、外観の模様はウズベキスタンの名産でもあるコットンの花をイメージしてつくられており、屏風のような折りを感じさせる造形がユニークな建築物とのこと。

中にはウズベキスタンの暮らしや文化に関する絵などが展示されていました。

乙嫁語りに出てくるタラスさんと姑さんの暮らし方そのものって感じの絵。カラカルパク人の設定?


Navoi Theater:ナヴォイ劇場

夜行列車までの時間潰しに、日本では見ようとも思わないオペラでも見てみやろうと思ったけど、土日の開演が基本なようで、金曜の夜はやってなかったので残念。ここにも日本人ツアーの人がいらっしゃいました。結構きてますね。
1947年にウズベキスタンの伝統的詩人アリシェル・ナヴォイ生誕500年を記念して建てられたヴィザンチン様式の3階建てのオペラ劇場。第二次世界大戦後にシベリア抑留としてソ連に強制連行された日本人捕虜によって建てられ、当時の隊長永田行夫をはじめとする457名の日本人兵がナヴォイ劇場の建設に従事したそうです。

1966年のタシケント大地震の際、街は壊滅的な被害を受けたがナヴォイ劇場は壊れず避難所として多くの命を救ったそうです。日本人捕虜の真面目な建設従事の仕事ぶりのおかげと、親日感情がさらに高くなったとのこと。実際には構造的な躯体の工事は終わっていて、日本人んが作ったのはインフィルの内装的な部分らしいですけどね。

1996年、当時の大統領イスラム・カリモフが、建設に関わった日本人を称えるプレートを劇場に設置した際、「我々ウズベキスタンは日本と戦っていない。彼らは恩人なので、間違っても「捕虜」と書くな。」と指示し、プレートには、「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴァーイー劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」とウズベク語、日本語、英語で書かれています。

劇場は、今でもコンサートやオペラ上演などで使用され、ここでは中央アジアでも有数のレベルの高さを誇る数々の演目が上演されています。内部の絵画や彫刻などの装飾もすばらしく、幅広い芸術を楽しめる劇場だそうです。一度見てみたかったです。

カフェで時間をつぶす:Bon!

おしゃれ喫茶Bon!で時間つぶし、カフェラテとオペラ(チョコケーキ)をいただいた。観光地の近所なので、店員さんも私を余裕越えの英語力なので安心。

ヒヴァへの夜行列車:Tashkent yuzhniy

7時前に駅に到着。列車の時刻は9時過ぎなので2時間前とかなり早めについた。夜行列車が発着するのは高速鉄道が使うタシケント駅ではなくマイナーなタシケント・ユーニイー駅(Tashkent yuzhniy)。
ウズベキスタンの駅は駅構内に入る前にセキュリティーチェックがあって、基本利用者だけが入るので、セキュリティー的には安全な気がしました。建物もきれいだし、管理もしっかりされてるのでちょっと空港的な心地よさもあります。

ディーゼル機関車

レトロな雰囲気をまとった客車。

タシケントからウルゲンチ経由ヒバ行

寝台車は、タイやベトナムの方がやや作りが良い気がした。タイ>ベトナム≧ウズベキスタンって感じです。上の段のベットの頭と足元には少し隙間があって、小さい物が落ちそうなので気を付けましょう。残念ながら充電用の電源は見当たらない、一応モバイルバッテリーあるからいいけど、長時間の列車に乗るなら必須ですね。シーツはクリーニングされた物が置いてあるので、自分でかけるタイプ、起きたら、片付けて置いといたらとりにくる。タイもそんなんだったかな。シーツ類の品質・ボロさはタイやベトナムに比べてもかなり年季が入った感じのものもある。まー清潔そうだからいいけど。

ここからヒバまで14時間の列車旅です。長いなー。トイレが汚かったらいやなので、水分も控えめでなんとかやり過ごしたいと思います

コメント

タイトルとURLをコピーしました