9月28日、天気は晴れ、朝の最低気温は7度。
ウルトラライトダウンを持ってきたけど、使わないかな?と思ってたけど、全然使いそうです。

- 朝ご飯
- ヒヴァ観光
- KAZIKHANA Zindan(カジハナ牢獄:クフナ・アルクの前)
- Konya Ark:クフナ・アルク
- KAZI KALON MADRASAH:カジ・カロン・マドラサ
- SHERGAZI KHAN MADRASAH:シェルガジ・ハーン・マドラサ
- ホテルのチェックアウトとチェックイン
- 明日のツアーの予約
- 昼ご飯
- Islam Khodja Minaret:イスラム・ホッジ・ミナレット
- ISLAM KHODJA MADRASAH:イスラム・ホッジ・マドラサ
- ジュマモスク
- MATPANABAY MADRASAH:マトパナバイ・マドラサ
- Muhammad Amin Inaq Madrasah:ムハンマド・アミン・イナク・マドラサ
- 城壁からの夕景
- 夜ご飯:Khorzem Art Restaurant
朝ご飯
隣の建物がが朝食の会場となっていました。、一旦外に出て、かわいらしいずんぐりしたミナレットを見つつ入ります。中に入れそうな橋がかかってますが、今は中に入れてくれないようです。


中は広すぎるくらいです。

種類もいろいろあって十分です。

果物もいただいました。ザクロを食べてみましたが、種があってちょっと食べにくいが問題ない程度でした。種まで食べたほうが栄養があるそうです。

ヒヴァ観光
朝はまだ土産物屋さんなどの店舗も開いていなくて静かです。こんな風になってるんですね。

昨日のに日中と夜はすごくにぎわってたのに、朝はほとんど人がいない。


でっかい瓜食べてるモニュメント。髪型はアフロじゃなくてでっかい帽子です。古い写真に写ってる男の人はみんなかぶってる。

こんな感じでみんなかぶってる。お土産としても売っています。

西門の外側に出てチケットを買います。ヒバ駅でタクシーなどに乗ると西門まで回ってくるそうです。
駐車場とかもあり広い、ウズベキスタンの国旗や州の旗でしょうか?こちらが正門のようですね。西門の中の半地下に窪んだ所は、昔の奴隷貿易の為の奴隷押し込め部屋だったらしいです。


チケット売り場、20万スム(約2400円)のチケットでほとんどの場所は回れるようです。


こんなイラスト入りのわかりやすいチケットをくれる。エクストラチケットと書いてあるところは別料金。

QRコードが発行されている紙には、24時間後の有効期限が記載されているが、2日間有効なようです。(普通に使えたし、今、よく写真を見るまで気が付いてなかった)

ナンを焼いて売ってるところで、おばちゃんが窯に薪をくべて準備してた。

KAZIKHANA Zindan(カジハナ牢獄:クフナ・アルクの前)
昔の牢獄に、残虐な刑罰関係の資料が展示されています。埋めて石を投げつける、絞首刑、生き埋め、ミナレットの上から落とす、なんでもありです。
この建物の前あたりの広場でも、見せしめみたいな感じで執行されていたみたいです。あー恐ろしい。
ちなみにヒヴァは中央アジアで一番の奴隷市場があった町だそうです。




Konya Ark:クフナ・アルク
「古い宮殿」という意味、イチャン・カラの西門に隣接した場所にある。建てられたのは17世紀で、執務室、謁見室、モスク、ハーレムや、火薬工場や造幣所、兵器庫などもあった。
アイヴァン(テラス)様式のタイルは見事なもので、壁面は七宝タイル、天井は赤、黄、緑、黒などカラフルな模様となっています。
別料金で、クフナアルク内から城壁の一部に登ることができます。東に向けてイチャンカラ内の素晴らしい景色が見え、夕日鑑賞にも最適な場所だそうです。





貨幣か何かを作るところ

KAZI KALON MADRASAH:カジ・カロン・マドラサ
カジ・カロン・マドラサは、カジ(裁判官)を養成する目的で建設され、教育や宗教研究の中心地として機能したそうです
伝統音楽関係の展示があり、所々で音楽が聴けます

お祭り、宴などの音楽や舞踏のシーンが描かれた絵が飾ってありました。火吹き男もいます


SHERGAZI KHAN MADRASAH:シェルガジ・ハーン・マドラサ
シェルガジ・ハーン・マドラサは、古代の城壁都市であるイチャン・カラで最も古い建物の 1 つで、奴隷の手によって建てられそうです。
1717年、シェルガジ・ハーンは巧みな軍事戦略を用いて、ロシア軍の中央アジアへの最初の遠征を打ち破った。捕虜は捕らえられ、奴隷にされた。同様の運命が、シェルガジ・ハーンの軍が翌年に占領したホラーサーン、マシュハド、メルヴの兵士たちにも降りかかった。生存者は捕虜としてヒヴァに連れて行かれ、奴隷労働を強いられた。
奴隷たちは、工事が完了したら故郷に解放されると約束されていましたが、建設が終わりに近づくと、シェルガジ・ハーンは、あらゆる方法で建設を遅らせ始め、遅延は数年に及んだ。伝説によると、ハーンが視察に来たとき、嘘の約束に怒った奴隷たちが彼を殺したそうです。奴隷たちの運命は不明だが、1740年にペルシャがヒヴァを占領し、ロシアの捕虜とおそらくホラーサーンから来た奴隷全員を解放した。
シェルガジ・ハーン・マドラサは長方形の平屋建てで、正面のみが2階建て。内部には55のフジュラ(小部屋)に囲まれた広い中庭と講堂があります。奴隷たちが早く自由になりたいと思っていたためか、シェルガジ・ハーンの絶え間ない干渉のためか、建物の質は悪い。数世紀にわたって建物の下の地盤は大きく沈下し、最後の最大規模の修復は20世紀に行われた。
シェルガジ・ハン・マドラサの建設にまつわる伝説は不吉かもしれないが、その存続は進歩的な教育の方向性をもたらした。マドラサは「知識の住処」という通称まで与えられた。ヒヴァ・ハン国や近隣諸国の多くの住民がここで教育を受け、有名な生徒の中には、ウズベキスタンの詩人で歴史家のパクラヴァンクリ・ラヴナク、カラカルパクの詩人アジニヤズ・カシバユリ、トルクメンの詩人で哲学者のマフトゥムクリなどがいるそうです。
シェルガジ・ハーン・マドラサの入口の前には土産物店が数多く並んでいて、内部には医療やハマム(伝統的な公衆浴場)の絵などがありました。



ホテルのチェックアウトとチェックイン
ホテルを12時前にチェックアウト。歴史ある建物でなかなか雰囲気のいいところだった。おすすめです。

次のゲストハウスにチェックイン。今度はこじんまりした感じのところ。こちらもあちらも英語力が足りず、スマホを使ってロシア語翻訳で会話。



明日のツアーの予約
昨日約束した通りイスラミックトラベルに行って確認するも、明日のシェア客はなし、仕方がないので、プライベートツアーに申し込むことにする。明日の9時にホテル集合。
昼ご飯
昼ごはんは、昨日と同じ店にしました。名物と噂の緑パスタ(Shivit osh:シュヴィト・オシュ)、マンドゥ、ポットティーでー115000スム(約1400円)。パスタの上に乗ってる具はラグマンと同じ、マンドゥの上の方はカピカピの硬さ、蒸し方が悪い。ここの味は今ひとつという結論に達しました。お茶だけの場所にしとく方がいい気がする。

ウズベキスタンはポットティーが安いので、お茶に馴染みのある日本人にはありがたい。

Islam Khodja Minaret:イスラム・ホッジ・ミナレット
ヒヴァでひときわ高くシンボル的なイスラム・ホージャ・ミナレットです。ミナレットの高さは56.6メートル、ミナレットの形状は上部に向かって狭くなっていて、青いタイルの横嶋模様と相まってさらに高く見えます。ここは追加料金で登れるようですが、大変そうなのでやめておきました。頂上まで階段を上ると、街の壮大な景色が見えるそうです。

ISLAM KHODJA MADRASAH:イスラム・ホッジ・マドラサ
イスラム・ホージャのミナレットの隣にあるマドラサ。42のフジュラと大きなドーム型のホールで構成されています。建物全体の建設は 1910 年に完了と比較的新しいですね。
木彫関連の展示などがありました。



おじいさんの職人に子供が手ほどきを受ける様子。乙嫁語りにも似たようなシーンがありましたね

ジュマモスク
「金曜モスク」という意味。イスラム教では毎週金曜日の礼拝が重要だとされているため、その名前が付いたそうです。213本の柱が約3m間隔で建っている多柱式建築で、一本一本の柱の彫刻も見事です。中央アジアで最も有名なモスクの一つ。10世紀に建てられ、現在の形になったのは18世紀末頃。薄暗い中に差し込む日の光が列柱が織りなす空間に奥行きを与え、長い時を感じさせるような神秘的な雰囲気です。


この大きな穴は何でしょうか?

MATPANABAY MADRASAH:マトパナバイ・マドラサ
20 世紀初頭に建てられたこのマドラサは、ジュマ モスクの北側にあります。古文書によると、建設作業は当時最高の建築家であるカランダル コチュムとフダイベルゲン ハジによって直接指揮されたそうです。
正面は東側を向いており、入口は南側を向いています。マドラサには 12 以上の学生用の小部屋(フジェラ)があり、建物の南側には小さなドーム型のモスクもあります。21 世紀初頭マドラサに「アヴェスタ」歴史博物館が設立された。「アヴェスタ」は宗教ではありませんが、世俗的な知識、歴史的出来事、アヴェスタが広まっている国々、社会経済生活、文化的および精神的見解、宗教的信念、人々の習慣の源で、その中で表現されている主な考え方は、宗教的信仰に関する最初の単純な知識は預言者ツァラトゥストラの名前に関連付けられているということです。


Muhammad Amin Inaq Madrasah:ムハンマド・アミン・イナク・マドラサ
ムハンマド・アミン・イナクによって建てられたメドレセ。王位争いで殺された彼の幼い息子がこのマドラサに埋葬されたそうです。
上から見ると長方形で、正面があり横方向に長くなっていますが、中庭の周りにフジュラを配置し、入り口部分にパブリックスペースを配置するという基本原則は維持しています。

内部は博物館になっており、神学校の展示やウズベキスタン出身の知識人を紹介しています。英語のビデオが視聴でき、後にサマルカンドで見ることになる、ウズルベクの天文台の模型などもありました。




城壁からの夕景
夕方になってきたので、夕焼けの景色を見ようとイチャンカラの城壁に登ってみました。北門と南門から登れるようですが、南門から登ってみました。
ここはチケット範囲外なので少し入場料を払いました。(安いですけどいくらかは忘れました)
城壁の内側が歩けるようになっていて、夕日を浴びたヒヴァの街並みが見やすい西門の方に向かいました。
ぐるっと一周はできないようですが、かなり遠くまで歩けます。(場所によってはイチャンカラ内部から城壁に登れそうなところもありますが、違法ですのでやめましょう。



夜ご飯:Khorzem Art Restaurant
夜ご飯は、東門にあるKhorzem Art Restaurantへ、シャシリク55千.ポットティー10千とナン、15%サービス費用で75千スム(約900円)。
混んでなくてゆったりした気持ちで食べられます。



明日は朝からカラ巡りプライベートツアーです。
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