20240930 西安寄ってウズベキスタン旅:ウズベキスタン編⑤ヒヴァ3日目

日記

9月30日、天気は晴れ。

朝ご飯

部屋を出たところにあるテラス席で朝食をいただきます。ちょっと肌寒いけど気持ちがいいです。

ボリュームたっぷりの朝食

カラ巡りツアー

9時にイスラムベクホテルの前で集合にしたのでそちらに向かいます。(ウルゲンチ空港、ウルゲンチやヒバの駅、泊まってるホテルのどこでもピックアップしてくれるようです。)

ドライバーと合流し、さっそくウルゲンチ方面経由カラ巡りに出発です。
コミュニケーションがとりやすいように助手席に座りました。

ドライバーさんは年配の男性で、普段はダマス(乗合小型バン)に載ってるそうです。今日の車は旅行社所有のシボレーのセダンです。
気さくな人で、写真スポットで止めてくれたり、道中でいろんな説明をしてくれました。初めの方はウズベキスタンの道路はきれいで立派な歩道がしっかりついてるし公園も多いって感じの会話をしてました。
おっちゃんは英語はほとんど話さないので、Google翻訳でのやり取りです。ロシア語での音声を使ったやり取りには電波が必要ですが、意外と郊外の方でも道路周辺では電波が割としっかりありました。

Jalal al-Din Mangburn(iジャラールッディーン・メングベルディー)記念碑、最後のホレズムシャーだそうです。おっちゃんが写真撮っとけって勧めてくれた。

広大な綿花畑で綿花を摘み取ってるおばちゃん。一日で何キロくらい積んでどのくらいの稼ぎかとか解説してくれたけど忘れた。

アムダリヤ川。アフガニスタンとアラル海に通じているといっていた。ここもちょっと停車

ガソリンスタンドで給油、手前のメロン畑の前に即売所があってそこに並んでたメロン、でかい。

なぜかガスステーションで飼ってる羊、割とおとなしいので角を触ってたら、いきなり頭突きするから気を付けろって言われました。

ソ連時代のクラシックカー、今でも現役で入ってる。

ソ連時代と今とどっちがいいか?って聞いてみたら、政治的なことはあまり気にしない。政府がちゃんと機能して生活できればいいって感じの事を言っていた。

カラとは

古代ホレズムの城塞址で、紀元前4 世紀頃にはすでに高度な文化を持っていたといわれている。
ウズベキスタン共和国西部にある自治区、カラカルパクスタン共和国には、今なお1000 以上ものカラが残っているそうです。
アムダリヤ川の流れと共に肥えた土地を求めて城が移り、領土の境界に城塞を築き敵の進入から守ってきた。
その城塞を巡るツアーのことをカラ巡りといって各種のツアーがある。
今回のキジルカラ、トプラクカラ、アヤズカラを回るコースは王道的なコースのようです。

キジルカラ:Kizil Kala(赤い城塞)

入口の関所で大した額ではなかったがいくらか取られた。

キジルカラは1 ~ 4 世紀に作られその後放置されていたものを12、13世紀のモンゴル襲撃時に再建された。65x63m の広さで、ほぼ正方形。駐屯兵の宿舎として使用されたという説とホラズム地方の領主の住居であったという説があるそうです。キジルとは赤いという意味で赤い城塞と呼ばれている。

外側の土台方はきれいに修復されています。

中はそのままっぽいです。

小高い所にあるので景色が良い。が風が強いので注意

詳細はキジルカラ(ヒヴァ・ホレズム観光情報発信局)をご参照ください。

トプラクカラ:Toprak Kala

トプラクカラは、1~3 世紀において栄えたクシャーナ朝の時代のもので、3 世紀にはこの場所に首都が置かれていた。クシャーナ朝は政府を作り政治的統制を行なわれた大きな変化の時代であったと言われているそうです。壁画や陶器などが見つかり、さらには葡萄畑があったこともわかっている。

こちらの内部には建物の壁?のような仕切りがある、主にその上を歩きながら見学する。
もしかするとこれ自体が歴史的に貴重なもので、削れていったりしたらいけないのかもしれませんが、その辺はいたっておおらかな感じです。(たくさんあるし気にしてないのかも)
数十年後に行ったら見学コースに木製の足場が建っててそこしか歩けないってパターンかもしれませんが・・・。(昔行ったアンコールワットがそんな感じで、普通に歩いてたところに木製の足場がかかっていたりする)
雰囲気は天空の城ラピュタ上部の表面の感じです(砂漠なので緑は少ないですが)

詳細はトプラクカラ(ヒヴァ・ホレズム観光情報発信局)をご参照ください。

休憩場所のアクチャコル湖:Akchakul Lake

湖のほとりにレストランがあり、ここで昼食をとるのが定石らしいですが、今日は休みだったようで昼抜きとなりました。

水の透明度がすごいです。ここではないが、ドライバーのおっちゃんもそこら辺の湖で泳いでたって言ってました。

アヤズカラ:Ayaz Kala

アヤズカラ遺跡は千年もの間、砂で隠されてきた、ルパクスタンで最も壮観な城塞の1つ。
アヤズカラは1つの城塞でなく、アヤズカラ1,2,3という3つのパートから成り立っており、スルタンウイズダフ山脈の東の端に位置します。主に防衛軍隊の駐屯所として使われていましたそうです。キジルクム砂漠からの眺めは素晴らしいです。
ユルタキャンプがあり宿泊や食事も可能です。

見学は車の駐車場となっているユルタキャンプから一番近いアヤズカラ1が中心となります。私はアヤズカラ2は写真でとりましたが、3の存在は現地では全く気が付きませんでした。Googleマップで見たら確認できます。2の道を挟んだ南南東に3があります。

写真の手前が2、奥が1

アヤズカラ1に歩いて向かう。途中は砂漠

途中は砂の砂漠

アヤズカラ2を見下ろす。遠いので行かなかった。行きたければ車で近くまで行ってもらった方が楽そう。

ユルタキャンプ


詳細はアヤズカラ(ヒヴァ・ホレズム観光情報発信局)をご参照ください。

ヒヴァ散策と晩御飯

2時間ほどかけて、アヤズカラからヒヴァまで送ってもらったら15時半くらい、晩御飯まで少し時間があるのでイチャンカラを散策

ゲストハウスにあるくつろぎスペース。こちらには日本と同じように座る文化がある。日本人はなじみやすいかも。

街中につながれているラクダ

楽団が演奏していた。観光協会かどこかがやってくれているのだと思いますが、こうゆうのがあると異国情緒があってすごくありがたいです。

街中にある窯で、何か具の入ったナンを焼いて売っていた。

お土産のスザニを見て回ったり

建築現場見てみたり

新しい建物の胴差しや窓回りの装飾は発泡スチロールに塗装したもの、よくできてる。

晩御飯は昨日と同じところで、お肉の焼いたものとナンとお茶をいただいた。
若干特殊なスパイス風味だったが何とかいけました。

ダマスという乗合ミニバス、車種名もダマス。スズキっぽいがシボレーブランド(ウズベキスタン製)。カラツアーのドライバーさんも普段はこれと言っていた。


あまりにもスズキっぽいので調べてみると、ダマスは、1992年に登場した2代目キャリイの韓国版モデルで、生産はデーウ(大宇)が行なっていた。なおデーウは、1937年に「國産自動車」として韓国で創業したメーカーで、1972年には米GM(ゼネラルモーターズ)傘下入り。以降はGM系のモデルを生産していたため、当時GMグループにあったスズキのクルマもその対象となりました。さらに2011年、デーウが「GMコリア」に社名変更。

そしてダマスは、小さなピープルムーバー&利便性が高い小型トラックという性格を生かし、1996年からウズベキスタンで生産をスタート。2008年以降は、ブランド名を「シボレー」に変更したことから、フロントにシボレーのボウタイエンブレムを備えた「シボレー・ダマス」が誕生。そして現在もなお販売を継続。

このように、日本生まれ・韓国育ちの2代目エブリイ・8代目キャリイが、GMグループにおける世界戦略車として様々な地域で販売されているのには驚かされます。

ということのようです。

最後の夜のヒヴァ散策

トワイライトタイムの1枚。イスラム風味のアラビアンチックな写真が撮れました、美しいです。

ここにも楽団が

明日は朝からブハラへの移動です。
ヒヴァの感想としては素晴らしかったの一言です。

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